幼少期を振り返って自身の発達障害について考える
幼少期を振り返って、自分にはどのような発達障害の傾向が強いのかを考えます。
発達障害も十人十色で一括りにしていうことはできないので、一つの傾向だと思って見て貰えれば嬉しいです。
- 意思表示がほとんどなかった
- 幼少期から極度の人見知りである
- 家と学校では様子が違う”場面緘黙”があった
- 幼少期からADHDの不注意の傾向があった
- ASD(自閉症スペクトラム)特有の傾向があった
- 幼少期のまとめ
意思表示がほとんどなかった
幼少期の頃は、ほとんど自分の意思というものを持っていなかった。
例えば、服を着替えさせてもらう時にたいていの場合、小さい子ながら「この服がいい」という意思表示があるはずだが、自分にはほとんどなかったということを親がよく言う。
自分が何かをしたいという意思をそもそも考えることが出来ていなかったのだろう。
幼少期から極度の人見知りである
現在も人見知りなのだが、幼少期の頃から極度の人見知りであった。
家族以外の人前に出ることを極度に怖がったり、家族に対しても自分から何かを話すということがほとんどできなかった。
4才くらいの頃に風邪をひいて母親に病院へ連れて行ってもらい、病院の先生に診てもらおうとしたのだが、人見知りのせいで先生の前にある椅子に座ることができず、部屋に入ったり部屋の外で待機したりを繰り返して、診察を受けることができたのは2時間後くらいのことだった。
病院や人が集まる施設に行くとこのようなことが多かった。
幼稚園では、人前に出るということがとても怖くて、お遊戯会本番の何週間も前から幼稚園に行きたくなかったのを覚えている。
小学校の運動会や学芸会の時もいつも具合が悪くなり、本番前に家で吐いてから学校へ向かっていた。
家と学校では様子が違う”場面緘黙”があった
幼少期の頃は、人見知りとはまた違う場面緘黙症があった。
上記で述べた人見知りについては、もしかすると人見知りよりも場面緘黙の傾向が強かったのかもしれない。
家にいる時には家族とそれなりに話しができるようになってきたり周りを気にすることなく遊んだり出来たが、学校や他人がいる場所では誰かと話すことや自分の意思で行動することがほぼ全くできなかった。
小学校の作文の発表などは、皆の前で声を出すことができなかったので代わりに先生に作文を読んで貰っていた。
人前で話すことがすごく怖かった。無意識的にそうなっていた。
子どもの頃の写真を見ると、家では変顔をしてダブルピースで写ってる写真が多いが、学校などの外出先では無表情だったり怖がった顔の写真が多い。
幼少期からADHDの不注意の傾向があった
自身が当てはまるADHDの不注意の特徴としては
「集中しづらいが、自分の好きなことにはすごく集中する」
「ぼーっとしている」
「自分の好きなもの以外の片付けや整理整頓が苦手」
「人の話を聞いていない」
「忘れっぽい」
などの傾向がよく見られる。
ADHDの疑いのある子どもに多く見られる、多動症の症状はほとんどなかった。
逆に大人しすぎておかしなくらい意思表示が少なかった。
ASD(自閉症スペクトラム)特有の傾向があった
幼少期に強かったASD(自閉症スペクトラム)の傾向は
「自分が好んで持っているものは自分の範囲内に全て綺麗に並んでいないと気が済まない」
「トイレットペーパーの芯などを使いもしないのに集めていた」
「相手の考えていることを想像するのが苦手」
などがあった。
自分が好んで持っているものは自分の範囲内に全て綺麗に並んでいないと気が済まなかったのは、小学生の時にベッドで寝ていたのだが、ベッドの枕より上の3分の1程を自分の所有物(マンガや人形、ミニカー、飼っていたカブトムシ)などを綺麗に並べて埋め尽くしていた。並ぶ順番や置き方なども決まっており、長い間その状態で寝ていた。
朝起きてものが少しでもずれていると癇癪を起こしていた。寝ている間に自分の腕が当たってずれているにも関わらずだ。
幼少期のまとめ
上記のことが幼少期(3歳頃〜小学校中学年頃)までに強く現れた特徴です。
現在、苦労しているADHDやASDの特徴よりも意思表示の少なさや場面緘黙などの特徴の方が強かった印象です。
ADHDやASDの特徴は小学校高学年から現在(社会人)にかけて強く現れるようになってきました。
そのことについては次に書こうと思います。
このような特徴がなぜ現れるのか、どういう仕組みなのかを自分の体験を考察しながら今後書いていくので見て頂けたら嬉しいです。