学生時代〜社会人になって発達障害に気がつくまでを振り返る
自身がADHDやASD(自閉症スペクトラム)などの発達障害があることに気がついたのは社会で働き始めてからである。
学生時代から社会人になって発達障害に気がつくまでを振り返って、自身の発達障害の傾向について考えようと思う。
発達障害にも様々な傾向があり、一括りにはできないので一つの特徴だと思って見て頂けたら嬉しいです。
- 学生時代も人と話すのが苦手だった
- 何も身に付かないまま社会人となる
- 社会人になってからも1年間気がつかずに仕事していた
- 陰口を言われ自覚し始めた
- 自力で克服しようとしたが出来ず、病院へ
- 医者から宣告を受けてどう思ったか
- 学生時代〜社会人 まとめ
学生時代も人と話すのが苦手だった
幼少期から現在(社会人)もずっと話すのが苦手なのだが、学生時代も変わらず人と話すのが苦手だった。
幼少期の頃に発症していた”場面緘黙”が少し良くなっていたことで人前で声を出せないということはなくなっていたが、相変わらず何を話していいのかもわからなかった。
周りの人から話しかけられても目も合すことができず、笑って誤魔化すことしかできていなかった。
この時もまだ自分を客観視できていなかったので”自分は周りと違う”ことに気がついていない。
何も身に付かないまま社会人となる
物事を考えることや人と話すことが苦手で、知識や人間関係に必要なコミュニケーション能力が身に付かなかった。
人との話し方、物事の考え方、一般常識、専門的知識、それ以上に何より自分がそれらを出来ていないことを自覚していなかったことが大変だった。
自分自身を客観的に想像することができず、自分の中ではこれが”当たり前”だと思っていたのだろう。
こうして自覚がないまま社会に出て働き始めることになる。
社会人になってからも1年間気がつかずに仕事していた
社会人になってからも1年間程、自覚しないまま働いていた。
ちゃんと働けていたのかと言われれば、全くそんなことはない。全然仕事ができていなかった。
挨拶を始め、人とのコミュニケーションがとれていないこと、慌ててしまうこと、仕事の内容をきちんと理解していないこと、指示を受けてもしっかりと聞き取れず理解していないままにしていること、理解していないということを理解していないこと。
それでも、そのまま働けたのは周りのサポートがあったからである。どれほどの迷惑をかけてしまっただろうか。
この頃から自分自身の”違和感”に気づき始める。
陰口を言われ自覚し始めた
自身の”周りと違うこと”に気づいたのは、陰口を言われ続けていたからだ。
仕事や人との関係を上手く出来ていなかったから当然だが、一時的に陰口を言われていたのかと思っていたが、ずっと言われ続けていた。
そして陰口がきっかけで幼少期から”無意識的に感じていた違和感”が頭の中で繋がるかのように自覚していった。
学生時代から鬱傾向にあったが、この頃から鬱病になった。振り返ってみれば、ADHDやASD(自閉症スペクトラム)などの発達障害による”2次障害”である。
こうして自分自身が人間関係をうまく築けていないことや仕事が全然できていないことを自覚した。
自力で克服しようとしたが出来ず、病院へ
自覚した頃は、誰にも相談せずに自分で解決しようとしていた。
本やネットで発達障害について調べて自力でどうにかしようとしたが、これまで考えることを苦手としてきた自分が急に変われる訳もなく、出来ないことに対して自己嫌悪が強くなり、悪循環から抜け出せなくなった。
そして病院へ行き、ADHDに効く薬を処方してもらい、ほんの少し楽になった。
医者から宣告を受けてどう思ったか
発達障害だと宣告されたことについては、事前に自分で調べていたので驚きも安堵もしなかったが、知らずに宣告されても同じであっただろう。
発達障害だと宣告されたからといって自分自身が変わるわけでなく、”今までずっとそうだったから”という感覚だ。
周りの人に散々迷惑をかけているが、自分には多数派にはない考え方があると思っているので、ちょっとした強みになっている。
学生時代〜社会人 まとめ
上記のことが自分が発達障害だということに気がついた経緯である。
振り返ると周囲にたくさん迷惑をかけてしまったことで自分にすごく嫌悪感を抱くが、自覚したことにより「辛い日々がずっと続く」から「改善して良い日にする」という方向に変わったので、自覚できて良かった。
ただ一ついうと、僕のように”気づき”がない人には陰口ではなく直接言ってもらえた方が早く気がつくことができ、その分解決に向かうのが早くなる場合がある。
次は、自覚してから考えるようになったことをまとめるので見てくれたら嬉しいです。