ADHD、アスペルガーの僕が日々思うこと

発達障害について当事者目線から定型発達についての考え方や思い

アスペルガーの僕から見た定型発達の見え方7つ

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 ADHD、ASD(自閉症スペクトラム)がある僕から見た、定型発達に対して疑問に思うことを挙げていく。

 

 定型発達(ていけいはったつ)とは、発達が平均的で発達障害がない人のことを指す。

 

 ADHDや自閉症スペクトラムなどの発達障害の人が抱きやすい疑問だと思うが、発達障害がある人でも様々な意見を持っているので、皆がこう考えているわけではないということを頭に入れながら見て頂きたい。

 

定型発達の人でも以下の疑問を感じてないわけではないということも頭に入れながら見て欲しい。

 

 

 

 

社会観念を疑わない

 

 まず、社会観念を疑わないことに疑問がある。

 

 社会観念とは、「その時代の一般常識や価値観」のこと。いわゆる”常識”というものだ。

 世の中にはその社会観念を疑わず、社会の習慣にはまず従うべきと考える人が多い。

   その結果、よく疑問に感じる”当たり前”というものが出来上がってしまっている。

 

悪口、陰口をよく言う

 

 自分にとって悪いことが起きるとよく悪口を言う。相手に直接言わずに陰口を言う。

”これはこうだからこう起こってしまった”という問題を解決することよりも”その場に合わせた自分にとっての利益”を考えることが多いように感じる。

これは発達障害がある人にだけ悪口や陰口を言うわけではなく、定型発達者同士でもこのことがよく起きている。

悪口や陰口を言うことによって様々なことに自分で自分の首を絞めていることに気が付いていない。

 

 嘘を自覚していない

 

 定型発達の人は嘘をつくことがよくあるが、それを嘘だと思っていない。

それは”思いやり”や”建前”などと表現される。一見、良いことのように見えるが、発言することに一貫性がなく、混乱を招いていることに気が付かずに行なっている。

 

多数派が正しいと思っている

 

 定型発達の人は、自分の意見を主張せずに多数派の意見に従うことによって物事が円滑に進むと思っている。表面上は円滑に進んでるように見えるが、実際はすごく”不安定なもの”である。

 

 定型発達の人は物事の本質を見ようとせずに同じ意見が多い方へと向かおうとする。そう考える人が多ければ多いほど多数派の意見として”出来上がってしまう”。

そして多い意見こそが良いことだと感じてしまっている。

 

そんな多数派の意見のどこに本質を見ようとしてる意見があるだろうか。

 

一人でいることを嫌う

 

 定型発達の人は、共感を重視してしまうあまり、一人でいることに疎外感を感じてしまうのだろう。

一緒にいる人が多い=同じ考えの人が多い=安心

という考え方をしてしまっているから一人でいることが良いことではないと考えてしまっているように感じる。

その結果、”友達が少ない人やひとりぼっちの人がダメに見える世の中”になってしまうのだ。

 

 優越性での自己肯定

 

 定型発達、発達障害にかかわらず、他人と比べることによって自分を確立するという考え方をしている人が多い。

確かに何かを見ようとするとき他のものと見比べないとそのものを見ることは出来ないのだが、見比べることに重点を置きすぎてしまっている

「自分はあの人より優れている」「あの人より出来ないから劣等感を感じる」

「あの人みたいになりたくないからもっと優れなければ」「自分はもうだめだ」

 

こういう考え方が自分達への不安感を加速させてしまっている。

 

共感を重視して問題を解決しない

 

 定型発達の人は共感を重視してしまうあまり、自分達が感じているストレスを自分達が作り出してしまっている”悪循環”に気が付いていない。

 

共感できる者同士では円滑に物事が進むが、そこから少しでも外れると上手くいかなくなる。その範囲に入れない人は”変わった人”となる。

自閉症スペクトラムの人は想像力の範囲が狭いと言われるが、定型発達の人も範囲内でうまくいっているだけで考え自体は狭いように感じる。

 

発達障害などの”障害”というものは、こういった考え方から生まれるものである。

障害とは考えである 。

 

定型発達に対しての疑問リスト まとめ

 

 発達障害などの障害というものを世の中の人々は、社会と多数派を占める人々の考えが生み出しているものなんだということを自覚していないことが問題である。

 

 上記では、定型発達に対する疑問を挙げたが、発達障害(僕の主観含む)からの一方的な見方なので、次からは定型発達側の意見も交えながら物事の仕組みをひとつひとつ堀下げて考えていこうと思うので見てくれたら嬉しいです。

 

学生時代〜社会人になって発達障害に気がつくまでを振り返る

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 自身がADHDやASD(自閉症スペクトラム)などの発達障害があることに気がついたのは社会で働き始めてからである。

 

学生時代から社会人になって発達障害に気がつくまでを振り返って、自身の発達障害の傾向について考えようと思う。

 

 発達障害にも様々な傾向があり、一括りにはできないので一つの特徴だと思って見て頂けたら嬉しいです。

 

 

 

学生時代も人と話すのが苦手だった

 

 幼少期から現在(社会人)もずっと話すのが苦手なのだが、学生時代も変わらず人と話すのが苦手だった。

 

幼少期の頃に発症していた”場面緘黙”が少し良くなっていたことで人前で声を出せないということはなくなっていたが、相変わらず何を話していいのかもわからなかった。

周りの人から話しかけられても目も合すことができず、笑って誤魔化すことしかできていなかった。

 この時もまだ自分を客観視できていなかったので”自分は周りと違う”ことに気がついていない

 

何も身に付かないまま社会人となる 

 

 物事を考えることや人と話すことが苦手で、知識や人間関係に必要なコミュニケーション能力が身に付かなかった。 

 

人との話し方、物事の考え方、一般常識、専門的知識、それ以上に何より自分がそれらを出来ていないことを自覚していなかったことが大変だった。 

 

自分自身を客観的に想像することができず、自分の中ではこれが”当たり前”だと思っていたのだろう。

 

 こうして自覚がないまま社会に出て働き始めることになる。

 

社会人になってからも1年間気がつかずに仕事していた 

 

 社会人になってからも1年間程、自覚しないまま働いていた。

ちゃんと働けていたのかと言われれば、全くそんなことはない。全然仕事ができていなかった。

挨拶を始め、人とのコミュニケーションがとれていないこと、慌ててしまうこと、仕事の内容をきちんと理解していないこと、指示を受けてもしっかりと聞き取れず理解していないままにしていること、理解していないということを理解していないこと。

 

それでも、そのまま働けたのは周りのサポートがあったからである。どれほどの迷惑をかけてしまっただろうか。

 

この頃から自分自身の”違和感”に気づき始める。

 

陰口を言われ自覚し始めた

 

 自身の”周りと違うこと”に気づいたのは、陰口を言われ続けていたからだ。

仕事や人との関係を上手く出来ていなかったから当然だが、一時的に陰口を言われていたのかと思っていたが、ずっと言われ続けていた。

 

 そして陰口がきっかけで幼少期から”無意識的に感じていた違和感”が頭の中で繋がるかのように自覚していった。

 

学生時代から鬱傾向にあったが、この頃から鬱病になった。振り返ってみれば、ADHDやASD(自閉症スペクトラム)などの発達障害による”2次障害”である。

 

 こうして自分自身が人間関係をうまく築けていないことや仕事が全然できていないことを自覚した。

 

自力で克服しようとしたが出来ず、病院へ

 

 自覚した頃は、誰にも相談せずに自分で解決しようとしていた。

本やネットで発達障害について調べて自力でどうにかしようとしたが、これまで考えることを苦手としてきた自分が急に変われる訳もなく、出来ないことに対して自己嫌悪が強くなり、悪循環から抜け出せなくなった。

 そして病院へ行き、ADHDに効く薬を処方してもらい、ほんの少し楽になった。

 

医者から宣告を受けてどう思ったか

 

 発達障害だと宣告されたことについては、事前に自分で調べていたので驚きも安堵もしなかったが、知らずに宣告されても同じであっただろう。

発達障害だと宣告されたからといって自分自身が変わるわけでなく、”今までずっとそうだったから”という感覚だ。

周りの人に散々迷惑をかけているが、自分には多数派にはない考え方があると思っているので、ちょっとした強みになっている。

 

学生時代〜社会人 まとめ

 

 上記のことが自分が発達障害だということに気がついた経緯である。

 

 振り返ると周囲にたくさん迷惑をかけてしまったことで自分にすごく嫌悪感を抱くが、自覚したことにより「辛い日々がずっと続く」から「改善して良い日にする」という方向に変わったので、自覚できて良かった。

ただ一ついうと、僕のように”気づき”がない人には陰口ではなく直接言ってもらえた方が早く気がつくことができ、その分解決に向かうのが早くなる場合がある。

 

 次は、自覚してから考えるようになったことをまとめるので見てくれたら嬉しいです。

 

小学生(高学年)〜高校時代を振り返って自身の発達障害について考える

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 僕が自分で発達障害のADHDやASD(自閉症スペクトラム)であることに気が付いたのは、社会に出て働き始めてからである。

 

小学生の高学年から高校時代を振り返って、どのような発達障害の傾向が強かったのかを考えようと思う。

 

 発達障害にも様々な傾向があり、一括りにしていうことはできないので、参考までに見ていただけたら嬉しいです。

 

 

 

小学校高学年頃から”場面緘黙症”が少しずつ治ってきた

 

 

 家では話せるのに家以外では話せなくなる”場面緘黙症”が幼少期の頃から酷く発症していたが、小学校高学年頃から少しずつ良くなってきたのだ。

 

だが、少し話せるようになったのは同性である男子だけであった。

女子と話すことはとても苦手で中学生卒業辺りまでほとんど話すことはできなかった。

 

そのせいもあってか、学校生活ではナルシストの傾向があった。

 

場面緘黙症とASDが合わさってコミュニケーション能力が育たなかった

 

 

 場面緘黙症が少し良くなってきたのは良いが、ASD(自閉症スペクトラム)の傾向も強いのでそもそも相手の気持ちがわかりづらい。

 

それでも人前で話せるようになったのが嬉しくて少しずつ話すようになっていったが、大半の返答は的外れなことばかり言っていたと思う。

 

 

高校生になるにつれて人間関係はより難しくなっていった 

 

 

  高校生にもなれば、自分の意見というものを持っていることが多いが、自分は自己肯定感が極めて低く、自分の意見を持っていなかった。

周りの人と会話をしていても自分の意見を言わないので、周りから見ると”不思議な人”であっただろう。

 

 普段一緒にいる友達が出来ても深い話ができないので、すごく仲の良い友達はできなかった。

 

 

高校時代いじめを受けていたが、気づいたのは社会人になってから

 

 

 高校時代にいじめを受けたが気づいたのは社会人になってからだ。

いじめを受けた原因は自分にあるのだが、その理由や気がつかなかったことがすごくASDの特徴に当てはまっている。

 

 

 いじめの原因は、自分が知らないはずのことを無意識に言いふらしてしまったことにある。

 

授業を受けている時に周りの人達が普段何気なくする会話の単語が断続的に聞こえてきて、無意識的に記憶して脳が勝手に予測して再構築をしていた。

 

そして「そういえば、あの人がああいうことを言っていたよ」と空気を読まずに本当のことを言ってしまっていた。

 

さらに発言していないことまでも無意識に予測して相手に伝えてしまい、「なんで言ってないことまで知ってるの・・・」と怖がられてしまい、クラス全体から無視をされていた。

 

こういうことを何回も繰り返してしまった。

 

だが、もともと周りの人達と話すことが少なかったため、無視されていることに気がつかなかったのだ。

 

 自分の机だけ廊下にあったこともあったが、自分は「掃除をした時に自分のだけ片付け忘れたのだろう」と解釈していた。

 

 

 ここまでくると自身のASD特有の空気の読めなさがどのくらい強いかがわかってくる。

 

 その後、社会人になってからどうやって気が付いたのかというと、働き始めてから自分の空気の読めなさに気づき、当時は何事もなかったと思っていたことが頭の中で繋がるように解釈されてフラッシュバックが起きたからだ。

 

「うわ!あの時の違和感はそういう経緯だったのか・・・」

 

という感じである。

  

小学生(高学年)〜高校時代 まとめ

 

 小学校高学年から高校生辺りは、"空気の読めなさ"が目立ってきた。

大体の人は自分の意思というものがはっきりしてきて、それに基づいて人間関係を作っていけると思うが、自分は"相手の気持ちがわかりづらい"ので、物事を考えて意思を持つということができていなかった。

 

物事を考えるということもどういうことなのか理解していなかった。

空気を読むという考え方なんてほぼ全くなかった。

物事を考えられるようになるのは学生時代を踏まえて社会人になってからであった。

 

 なぜ物事を考えられないのかなども自身の経験を考察してどのような仕組みなのかこれから書いていく。

  

 次は、社会人になってから物事の考え方が変わったことについて書こうと思うので見てくれたら嬉しいです。

 

幼少期を振り返って自身の発達障害について考える

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 幼少期を振り返って、自分にはどのような発達障害の傾向が強いのかを考えます。

 

 発達障害も十人十色で一括りにしていうことはできないので、一つの傾向だと思って見て貰えれば嬉しいです。

 

 

 

意思表示がほとんどなかった 

 

 幼少期の頃は、ほとんど自分の意思というものを持っていなかった。

例えば、服を着替えさせてもらう時にたいていの場合、小さい子ながら「この服がいい」という意思表示があるはずだが、自分にはほとんどなかったということを親がよく言う。

 

自分が何かをしたいという意思をそもそも考えることが出来ていなかったのだろう。

 

 幼少期から極度の人見知りである  

 

 現在も人見知りなのだが、幼少期の頃から極度の人見知りであった。

家族以外の人前に出ることを極度に怖がったり、家族に対しても自分から何かを話すということがほとんどできなかった。

 

 4才くらいの頃に風邪をひいて母親に病院へ連れて行ってもらい、病院の先生に診てもらおうとしたのだが、人見知りのせいで先生の前にある椅子に座ることができず、部屋に入ったり部屋の外で待機したりを繰り返して、診察を受けることができたのは2時間後くらいのことだった。

 

病院や人が集まる施設に行くとこのようなことが多かった。

 

 幼稚園では、人前に出るということがとても怖くて、お遊戯会本番の何週間も前から幼稚園に行きたくなかったのを覚えている。

小学校の運動会や学芸会の時もいつも具合が悪くなり、本番前に家で吐いてから学校へ向かっていた。

 

 家と学校では様子が違う”場面緘黙”があった 

 

 幼少期の頃は、人見知りとはまた違う場面緘黙症があった。

上記で述べた人見知りについては、もしかすると人見知りよりも場面緘黙の傾向が強かったのかもしれない。

 

 家にいる時には家族とそれなりに話しができるようになってきたり周りを気にすることなく遊んだり出来たが、学校や他人がいる場所では誰かと話すことや自分の意思で行動することがほぼ全くできなかった。

 

小学校の作文の発表などは、皆の前で声を出すことができなかったので代わりに先生に作文を読んで貰っていた。

 

人前で話すことがすごく怖かった。無意識的にそうなっていた。

 

   子どもの頃の写真を見ると、家では変顔をしてダブルピースで写ってる写真が多いが、学校などの外出先では無表情だったり怖がった顔の写真が多い。

 

 幼少期からADHDの不注意の傾向があった

 

自身が当てはまるADHDの不注意の特徴としては

 

「集中しづらいが、自分の好きなことにはすごく集中する」

「ぼーっとしている」

「自分の好きなもの以外の片付けや整理整頓が苦手」

「人の話を聞いていない」

「忘れっぽい」

 

などの傾向がよく見られる。

 

 ADHDの疑いのある子どもに多く見られる、多動症の症状はほとんどなかった。

逆に大人しすぎておかしなくらい意思表示が少なかった。

 

 ASD(自閉症スペクトラム)特有の傾向があった

 

 幼少期に強かったASD(自閉症スペクトラム)の傾向は

 

「自分が好んで持っているものは自分の範囲内に全て綺麗に並んでいないと気が済まない」

「トイレットペーパーの芯などを使いもしないのに集めていた」

「相手の考えていることを想像するのが苦手」

 

などがあった。

 

 自分が好んで持っているものは自分の範囲内に全て綺麗に並んでいないと気が済まなかったのは、小学生の時にベッドで寝ていたのだが、ベッドの枕より上の3分の1程を自分の所有物(マンガや人形、ミニカー、飼っていたカブトムシ)などを綺麗に並べて埋め尽くしていた。並ぶ順番や置き方なども決まっており、長い間その状態で寝ていた。

朝起きてものが少しでもずれていると癇癪を起こしていた。寝ている間に自分の腕が当たってずれているにも関わらずだ。

 

幼少期のまとめ

 

 上記のことが幼少期(3歳頃〜小学校中学年頃)までに強く現れた特徴です。

現在、苦労しているADHDやASDの特徴よりも意思表示の少なさや場面緘黙などの特徴の方が強かった印象です。

ADHDやASDの特徴は小学校高学年から現在(社会人)にかけて強く現れるようになってきました。

そのことについては次に書こうと思います。

 

 

 このような特徴がなぜ現れるのか、どういう仕組みなのかを自分の体験を考察しながら今後書いていくので見て頂けたら嬉しいです。

 

自分が発達障害だと気づいた話

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発達障害だと気づいた経緯

 

   僕が発達障害だと気づいたのは社会人になって働き始めてからだ。

 

  社会で働き始めて1年程経ってから、自分に与えられている仕事に対してきちんと出来ていないことや人とのコミュニケーションが上手くできず、相手の伝えようとしていることを理解していなかったり、自分の言いたいことを上手く伝えることが出来ていないことに気づき始めた。

 

この時はまだ「自分は周りと違うなぁ...」と気づき始めた頃だ。働き始めてから気づき始めるまでに1年程かかった。

 

  それから誰かに相談することをせずに自力でなんとかしようとしたが結局改善できず、仕事に失敗する日々、周囲の人に迷惑をかけながら数ヶ月数年と経ってしまった。

 

このままではいけないと病院へ行き対策をして数年が経ち少しずつ良い方に向かっている。

 

 

なぜ社会人になるまで気づかなかったのか

 

  社会人になるまで発達障害の傾向がなかったのかと言われれば全くそんなことはない。

今思い返せば、幼少期の頃から学生時代もずっと"その傾向"はあった。

  では、なぜ社会人になるまで気づかなかったのだろうか。

それは、社会に出るまではなんとかなっていたからだ。もちろん周囲にたくさん迷惑をかけていたが社会に出るまではなんとかなっていた。

学校の授業なども受けていれば平均的な成績を取ることができ、なんとかなっていた。

 

だが、社会に出てからはそうはいかなかった。社会人になると"自発的に行動すること"が重要になってくる場面が多く、今まで何も考えずに生きてきた自分は何も出来ない人間になっていた。

 

 こうして自分に発達障害があるということに気がついた。周囲に迷惑をかけながら日々葛藤している。

 

  もっと細かな内容は後ほど伝えたいので見てくれたら嬉しいです。